プロフィール

 


となりのピアニスト:関 和歌子

 1973年4月生まれ O型

 

4歳 ピアノ開始☆
生まれは千葉県の海沿い。そこから岩手の宮古市へ。
4歳になり、姉と2人で「日曜学校」に行き、賛美歌を歌うように。
その歌のメロディーを家のピアノで私が正確に再現し、姉がおどろく。
 
母は、姉が始めたのと同じ5歳になったら習わせようと考えていたが、
私は毎日「ピアノならいたい」とお願いし、最後は手ををついて頼んだので、
根負けして4歳で姉と同じ師の元へ連れていってくれる。

5歳のとき滝沢村(現在滝沢市)に家が建ち引越し。
転入した幼稚園でピアノを弾いたところ、先生が驚きのパフォーマンスで床に倒れてくださる(笑)
以来、お弁当の時間になると順番に他のクラスに呼ばれて演奏するという事態になる。

7歳 師との出会い☆
県のコンサートに出演する際、のちに大学で教えを請うことになる師のレッスンを受ける。
師のベルベットのような音の美しさ、(当時の表現としては、「ポポポ・・っていう音がする!」)
洗練され情緒にあふれた音楽の世界にいっぺんで魅了される。
以来隔月のペースでレッスンを受けていく中で、師のいる音大に進み、師のもとでピアノを学ぶ決意をする。
この時点で母には音大行きをお願いする。
夢はもちろんピアニスト。
 
小中高時代 才能コンプレックス☆
小3で、今も母と慕う地元の師の元へ。
マジメで譜読みも暗譜も早いが、それ以上のことは先生に言われるがままなことに、
強いコンプレックスを持っていた。
姉や幼なじみは、譜読み暗譜はゆっくりだが自分の音楽をもっていて、そういう才能にあこがれる。
コンクールにもいくつか出て、入賞。
でも優勝しない自分を考えたとき、「岩手で優勝できないんじゃとてもピアニストは無理だ」と悟る(悲)。
自分が学校では優等生なのもまた、ピアノのみに秀でた才能がないんだ・・と落ち込む要素にしてしまう。
 
普段は友達ともめいっぱい遊び、練習もするいい子(笑)
母が強制しなかったためか、一度もキライにならずに育ったのは感謝。
 
高校は音大付属高校に行き、音楽の勉強に専念したかったが、
今はまだ早いと家族に言われて納得し、地元の進学校に入る。
 
18歳 ジョイントリサイタルと受験☆
県のコンクールで金賞を頂いたのをきっかけに、3人でジョイントリサイタル。
このときもただマジメに弾いただけ(笑)。
他の2人の主張のある音楽と比べ、自分てつまらないなーと落ち込む。
ピアノの師にも、ソルフェージュの師にも、歌の師にも、楽典の師にも、
すべて信じられないほど恵まれ、最高のサポートをしていただく。
それなのに自分の演奏は楽器がよく鳴らない、テクニックが足りない、音楽的欲求がない。
ないないづくしの自分に焦り続け、
音大受験が近づくにつれ精神的に落ち込んでいき、受験もあまりうまく行かず、合格発表前に激ヤセ。
 
19歳  音大入学☆
それでもなんとか東京音楽大学ピアノ科に入学。
憧れの師のもとで研鑽を積む。
やっとで夢が叶い、レベルの高さにはじめは戸惑うが、さまざまな出会いを経て音楽に自由な発想が生まれだす。
弾き方も変わり、楽器が鳴るようになる。自分の「音」が出てきたころ。
かつて自分が憧れた、「音楽性や構築力」を周囲に評価されるようになる。
すべてが充実感を持ち、本当に幸せな学生生活を送る。
ピアノ演奏家コースというひとにぎりのエリートコースに編入しようとするが、叶わず。

あるオーディションで本選に進み今までにない高みが見えたとき、
ふとこの先自分があるく音楽の道のようなものを感じる。
真っ先に感じたのは「孤独」。当時はよく理解できなかったが、このイメージだけは鮮明に残る。
 
22歳 挫折感のはじまり☆
卒業後は当然留学したいと思っていたが、両親にこれ以上は留学も進学も無理だと告げられショックを受ける。
奨学制度を受けるほど優秀でもないからと、大した努力もしないであきらめる。
この挫折感を心の奥深くで20年近く引きずってきたと思う。

音大で追いかけてきた音楽の世界と、これから歩む現実とのギャップに愕然とし悶々とする日々。
同じ思いの親しい友達と入った居酒屋で、ため息とともに30分無言で飲み続け、
ハッと気づいて大ウケする。通称「オヤジ飲み事件」(笑)

音大卒業時 リサイタル最高☆
盛岡にて卒業記念リサイタル。
このときの充実感は死ぬときに必ず思い出すであろうもの。
演奏自体も、当日が一番のびのびとし、師も驚いてくださる。
本当はこれを求め続けたいのに、これ以降「自分は何者でもないから」封印する。
そこから長いモヤモヤ歳月がはじまる。

23歳 三越バイト☆
就職できなかったので、音楽と離れた世界に身を置いてみたいと思い、
1年間三越デパートの顧客データ管理とDM発送のアルバイトをする。
いくつかコンクールも受けながら(パッとせず)、けっこうまともに働いた。
 
24歳 高校講師とウィーンセミナー☆
2年間埼玉の私立高校にて非常勤講師、音楽の全授業を担当する。
音楽室に30台シンセサイザーが置いてある学校で、自分も必死に覚えながら、活用した授業を計画する。
また選択授業ではやや専門的な音楽史も取り扱い、音大受験生数人に個別でソルフェージュ指導も担当するなど、
やりがいのあることができる恵まれた環境。

30人弱が講師であるこの学校では「講師室」があるのだが、
美術講師は日本画家、国語講師のひとりは島崎藤村の研究者など、非常にいい刺激を受ける。
 
その高校の夏休みを利用して、ウィーンのピアノ夏季セミナー参加、ディプロマ取得。
ステキなインド人教授のレッスンの中でモーツァルトの概念が大きく変わる。
さらに熱く、さらに自由になる。
そして自分の師の音楽もまた、世界基準で本物であると感じ、嬉しくなる。
 

 26歳 結婚、地元へ☆
結婚を機に故郷岩手に帰り、ここから15年間、楽器店ピアノ講師をしながら、
自宅教室でもピアノ指導にあたる。
同業で生き生きと仕事をしている姉のおしみないサポートに助けられ、なんとか自分もがんばる。

28歳 コンクール優勝☆
地元の師に、年齢制限にまだ間に合う(笑)東北のコンクールがあることを教えてもらい、
自分の客観的評価を知りたくて受け、なんと優勝。
同時に中村紘子賞、21世紀音楽未来賞受賞。
この時の練習中何度か、集中しすぎて神を感じる(笑)
神は自分の内にあるのだと理屈ではなく理解したが、その後はその感覚を完全に見失う。
 
優勝はしたが、中村紘子氏が当日不在だったため、
直接彼女の評価を受けたわけではないということが引っかかり、
自信になるどころか、モヤモヤを強める結果となる。
そして今度は周りの留学歴、入賞歴などの華やかな面々に対しコンプレックスを強め出す。
 
29歳 うつ病1回目☆
一度大きく体調を崩し6キロ減。この時もうつ病であったとのちに理解する。
おかゆ1杯を1日で食べられないような時期が断続的に訪れる数年。
 
32歳 マイホーム☆再び村民に
実家の庭にマイホームを建てた頃から、徐々に元気になる。
家づくりの過程でたくさんの人と出会い、幸せを感じる世界が一気に広がる。
インテリアに目覚め、食器や家具などものづくりの世界が趣味となる。

35歳 双子出産☆
8センチ大の子宮筋腫、高齢出産、双子のトリプルハイリスク妊婦で、
切迫早産で3ヶ月入院の末、35週に帝王切開で出産。
この時の入院仲間とは今も集まる関係。貴重なママ友達。
 
3ヶ月ベッドに縛られ、まっすぐの姿勢で歩くこともままならない状態で育児スタート。
双子育児は過酷で、産後うつ。
毎日泣いてばかり、1日おきに38度の熱をあげるなど、およそ楽しいとか可愛いとかを感じる余地のない日々。
そんな自分に失望する。
母も夫もよく助けてくれたが、息子の夜泣きがひどく、続けて3時間の睡眠が取れないまま3歳になる。
 
38歳 うつ病2回目と、決意☆
たまった疲れと、震災のショックや無力感から、過食気味になり体調がおかしくなる。
いろいろ調べていくうちにメンタルのことに興味を持ち勉強し出す。
しかし息が苦しく手足がしびれてふるえるなど症状が深刻化していく。
他には記憶の部分的欠如や、段取りというものが出来ず料理ができなくなるなど。
息子の夜驚が最後の引き金となり、うつ病発症。
 
カウンセリングや療養の中で、自分のような人を助け癒したいという気持ちが起こる。
育児支援はたくさんあるけれど、育児ママ支援はほとんど無いことに疑問を持つ。
母親が心身共に健康なことは、子供のためにも一番大事なのに。
療養中は飢えていた読書三昧。ここでたくさんの新しい価値観と出会う。
同時に、自分が封印してきた、「プロとして演奏活動をしたい」という想いにもやっと気がつく。
それが長年のモヤモヤの原因だと自覚し、もう自分の思いに素直に生きようと、
人生の中心として演奏活動をやっていくことを決意する。
 
と同時に、経歴コンプレックスと様々な方法で向き合い、
「スゴくないピアニストがいたっていいじゃないか!」
とふっきれて、自由になる。

その冬、ご縁を頂き地元滝沢の育児支援事業の一環である
胎教コンサートにてBGMとソロを担当。
明けて2012年1月には県立美術館にて
トークつきのミニコンサート「Melody Gift」開催。大変好評を頂く。
 
39歳 となりのピアニスト☆
地元の師をかこむ会の本番で久々に大曲を弾き、以前よりはるかに自由な世界を感じる。
 
そして2012年9月、
自分が本当になりたい自分の姿を求め、がんばっている大人女子、育児中ママの心に寄りそえたらと、
「となりのピアニスト」 として行動開始。
自宅教室も「和の音ピアノ教室」と改める。
 
40歳 リサイタル最高再び☆
9月22日(日)マリオス小ホールにてピアノリサイタル開催。
準備段階ですでに最高に楽しく幸せであり、
好きなことをしていると人はこんなにもエネルギーに満ち幸せなのかと驚く。
この底なしの幸せを、今後よりたくさんの皆様に届けたいと言う気持ちが強くなる。
 
同年ランチコンサートを八幡平ロイヤルホテルにて開催。
ランチ、温泉入浴付きという、新しい試みで、とても好評を頂く。
 
また、ある中学校の思春期講座の授業にゲストで招いて頂き、
育児うつ体験についてのお話しとピアノ演奏をする。
これも、自分の体験を生かしたありがたい経験をさせていただいた。
 
 41歳〜 ますますピアノと共に
子供の小学校入学を機に、15年間お世話になった楽器店との契約を終了し、完全独立。
「和の音ピアノ教室」での指導と、演奏活動との両立のため、
日々悩みながらも充実を感じながら過ごしています。
皆さまに「元気になった」「楽しかった」と言って頂けるような、
幸せなピアノを、演奏、指導の両方から、広めていく所存です!
 
主な賞歴
◆岩手県学生器楽コンクール銀賞、銅賞
◆岩手県ピアノ音楽コンクール金賞
◆東京音楽大学 オーディションによる学内演奏会出演2回
◆ピティナピアノコンペティション地区本選出場1回
◆ピアノ教育連盟オーディション奨励賞2回、本選出場1回
◆東北青少年ピアノコンクール最優秀賞、中村紘子賞、21世紀音楽未来賞
その他、ウィーンピアノ夏季セミナー ディプロマ取得、
盛岡市芸術祭ピアノ部門、岩手県芸術祭ピアノ部門、
各種コンサート、東京にてジョイントリサイタルなど出演多数。